JR中央線な日々

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はーい!シゲちゃんでーす。

 先日ブックオフで購入した本の中に、三善理沙子著「中央線なヒト」という本がある。なぜこの本に触手が動いたのかといえば、他ならぬ私が、かつての中央線沿線の住民だったからである。今は米沢のヒトになっているのだが、中央線沿線という独特の地域文化でその根っこは育まれたといってもいい。小田急線や東横線とは明らかに違う文化だったと思う。



 初対面で、東京に住んでいる、または住んでいた人と話す機会があったとき、いつも尋(たず)ねることがある。

「住んでいたのはどの沿線でしたか?」

 おおざっぱなくくりでその人の行動範囲が想像できるからだ。私は生まれたのが東京大田区大森で、学生時代は三鷹市、武蔵野市。就職して五反田と各地を経験している。が、やはり青春時代をすごしたのは中央線沿線だった。現在はJR中央線の快速電車はオレンジのラインが入っているが、かつては上の画像と同じ全面オレンジ塗装の電車(201系)だった。山手線や京浜東北線も全面塗装だった。

 私の学生時代、東小金井、武蔵境、三鷹の近辺が平日の行動範囲。週末になれば吉祥寺さらに荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、そして新宿まで足を伸ばす。そこから東への地域、つまり四谷、御茶ノ水、神田、東京となると米沢へ帰る時以外は利用することはまれだった(ただし、神宮球場最寄り駅の信濃町は別)。

 中央線のイメージなのだが、とにかく個性的。駅ごとに個性を持った商店街とそこの住民。昭和の文化人が集った荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷近辺。劇団関連の人が集う高円寺、中野近辺。若い私にとってどの駅も魅力的というのを通り越して不思議ワールドだったのだ。なにしろ住民のパワーがあった。

 京橋にある会社に就職し、会社の寮がある五反田に移っても、週末には新宿経由で中央線沿線の駅を訪れることが多かった。今週は中野のブロードウェイに行こうとか、吉祥寺か三鷹で降りて井の頭公園にいこうといったぐあいだ。

さて、

 あれから40年近くの時間が経過した。今私が住む街は米沢。もちろん東京から見ればシゲキが少ない。でも今、この年で中央線沿線に住もうとは思わない。あそこの時間の流れに体がついていけないと思うからだ。米沢にも良いところはたくさんある。最近になってそれが見えてきた。今まで見ようとしなかっただけだった。良い街かどうかは各自が決めることなのだろうが、今、私は米沢が好きだ。もっと住みよい町になればいいとも思う。どこでも住めば都なのだが。

ではまた。

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