私オカマでした(19)

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はーい!シゲちゃんでーす。

 昨夜はなんと4ヶ月ぶりに米沢の中央、グリーンビル2Fにある心春(こはる)さんに寄ってみたっす。焼酎のボトルを入れたのが8月31日で一杯だけ飲んで帰ったらしいす(覚えてないw)。おまけにお金も払わずに帰ったのでいきなり払うことに。催促もなくボトルも流さずに取っておいてくれたママさん、ありがとう!ジョージ・マイケルさんが亡くなったことへの追悼の意をこめて「ラスト・クリスマス」を熱唱したっす。さて、久々にオカマの話っす。

すごい夜だった

 新宿ゴールデン街の一角にある小さなオネエ系のお店「ナイトビーンズ」。テレ朝の取材を終えてひと段落と思いきや、13名の貸切団体のお客様がご来店。ママとジェイソンさんとゴルゴさんの奮闘は続いた。ボックス席をカタカナの「コ」の字につないで宴会がはじまろうとしていた。幹事らしき人がマイクを片手に持ってマイクテストをしている。金色の大きな蝶ネクタイを付けた人だ。

客A「はい~大変長らくオマンたせいたしました。カンパイの準備が整いましたぁ。」

待ってました大統領!パチパチパチパチ

客A「光栄にも赤塚不二夫先生とタモリさんの同席を賜り狂喜乱舞の始まりでございます。」

パチパチパチパチ! ヒューヒュー!

客A,B「では、みなさま、オカマちゃんもまじえましてぇ!」

かんぱ~い!!

エエーッ!私は拭いていた皿を落としそうになった。ウソだろ、おい!

ボックス席をのぞきこむと、なんと海賊風の黒い眼帯をしたタモリさんがいるではないか!さらにその隣には天才バカボンのパパの顔をした赤塚不二夫さんが・・。これには度肝を抜かれた。さらには同席した中には「釣りバカ日誌」の北見けんいちさんまでいたのだ!(残念ながらどの人だったのか不明)この団体客がフジオプロの人たちだとわかったのは1週間後だった。今考えてもすごいメンバーの飲み会だと思う。

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 この頃、タモリさんは駆け出しのタレントで認知度も低かったのだが、笑うセールスマン風の真ん中わけのオールバックと黒い眼帯だけは私も知っていた。赤塚さんは鼻の下に5本線をマジックで書いて鉢巻を巻いていた。ホッペには渦巻き。今ではわからないがもっと有名人がいたのかもしれない。

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ママ「おにいちゃん、ピザ大好評よ、あるもの全部使っていいからどんどん持ってきて!」
シゲ「はい、今ピラフも作ってます。もうすぐっす!」
ママ「センセ、お酒強いのね。でもこんなに飲んで大丈夫?」

すると、数人が立ち上がって、

これでいいのだぁ!わっはっはっはっは

先生とは赤塚さんのことである。その後、タモリさんはサングラスと黒のブリーフだけのほぼ裸になってイグアナやガラパゴス象亀の形態模写をはじめた。最高潮のタモリさんはゴルゴさんのスカートに顔をもぐりこませたりして場を盛り上げた。

ゴルゴさんがカウンターにボトルを取りに来た。

ゴルゴ「ねえ、おにいちゃん、あれがタモリなの?」
シゲ「ええっ、知らないんすか?本物すよ本物!」
ゴルゴ「なんだか意味不明だわ、やることが。」
シゲ「だから新しいんすよ。センスがいいでしょ?」
ゴルゴ「そーかしら、でもボトル6本目よ大丈夫なの?」
シゲ「あのボトルはあと12本ありますよ。」

ゴルゴさんは疲れもあってか多少閉口気味だったが、ジェイソンさんは馬鹿笑いを連発していた。ママがカウンターにやってきた。

ママ「おにいちゃん、ごめん。いつ終わるかわかんないから、あんた帰んなさい。」
シゲ「ママ、何を言うんすか、こんなメンツ一生見られませんよ。終わるまでいます。」
ママ「まだ終電間に合うでしょ?はい1万円。」
シゲ「はい、でもいさせてください。何でもしますから。」
ママ「そりゃいいけど、貸切って朝までよ?」
シゲ「よろこんで。じゃまだ料理ありますから。」

次の瞬間だった。

あのタモリさんが目の前にいた。

タモリさん「あの、水もらえます?ちょっとヤバいよね。クラクラする。」
シゲ「あ!はいっ、どうぞ。」
タモリさん「どーもね。ゴクゴクゴク、ああ美味いっ!もう一杯!」

シゲ「はいっ、あの僕タモリさんのファンです!」
タモリさん「あっそう?オレ?ろくなもんじゃないよ。ほんとに。」
シゲ「いえいえセンスが斬新で、すごいと思います。」
タモリさん「いやぁ、そんなこと初めて言われたよね。ありがとう。」

私はタモリさんに握手してもらって大感激だった。タモリさんは赤塚さんから呼ばれてふらふらとボックス席へ帰っていった。

 当時といえば萩本欽一さんの全盛期だった。お笑い系バラエティの草創期だったといってもいい。萩本さん(欽ちゃん)は民放各局で引っ張りだこだったのだが、私にとってはそろそろ飽食気味だった。その頃、B&Bや伸助竜介をはじめとする新進気鋭コンビの漫才ブームに火がついたばかり。そこに一風変わったタモリさんの芸は私にとって正に斬新だったのだ。基本的にバカバカしいのだが、どこか知性や美意識を感じる。

午前2時。女性を除いてほぼ全員がパンツだけになっていた。店内はアルコールのにおいとタバコの煙で満ちていた。ママが何度かドアを全開して空気の入れ替えをした。冷たい空気にあわててシャツを着る人もいたが、笑いが絶えることはなかった。

ひとりずつ、かくし芸っぽいものや面白い話をしては盛り上がりを見せていた。女性が3人いたが、その中のロングの髪の女性の話「よくいるスナックママのつぶやきシリーズ」には面白くて笑ってしまった。ゴルゴさんたちの「UFO」の踊りや、ママお得意の「プレイバックパート2」もあって大盛況の夜となった。


午前4時を過ぎた頃、赤塚さんがよろよろとカウンターにやってきた。そしてカウンターにいたママと私に深々と頭を下げた。

赤塚さん「今日はどーもでした。おかげで最高の夜でした。」
ママ「いえいえ行き届きませんで申し訳ないです。ありがとうございます。」
赤塚さん「実はね、カントクにここに行ってくれと言われてね。」
ママ「あら山本監督ですか?こんな場末の店に気を使っていただいて。」
赤塚さん「いえいえ、やはりね、非現実なんですよ。それが楽しい、そう思いませんか?」
ママ「難しいことはわかりませんけど、そうですよねぇ。」
赤塚さん「ありがとう。ではこれでお開きにします。」

浴びるほど酒を飲んだはずの赤塚さん。顔は真っ赤だったが、しっかりとした口調で話していた。顔を見て吹き出しそうになったが、私たちにこんな挨拶をしてくれる赤塚さんはさすがだと思った。


始発電車が動き始めていた。まだ暗いゴールデン街を思いがけず知り合えた人たちは帰っていった。私たちは乱雑になったテーブルを片付けながらけだるさを感じていた。でも東京にきてよかった。こんな映画みたいな夜には二度と出会えないだろう。私は眠い目をこすりながら、あとで仲間に自慢話をしてやろうとほくそ笑んでいた。
続く。

→ 私オカマでした(20)

この記事へのコメント

  • スーさん

    シゲちゃん、タモリって!これホント?
    すごいですねえ。確かタモリは若い頃、赤塚不二夫のマンションに居候してたって聞いたことがある。だとするとホントか!?
    おれもその場にいたかった。
    2016年12月28日 14:49

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