田沼意次の政策

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はーい!シゲちゃんでーす。

江戸時代の三大改革って聞いたことありますか?

江戸時代中期から後期にかけての「享保・寛政・天保の改革」っすね。日本史で誰もが習ったはず。でも覚えてない、っすよね(笑)。

享保の改革=8代将軍徳川吉宗が主導した諸改革(1716年から1745年)幕政改革。
寛政の改革
=松平定信が老中在任期間中の1787年から1793年に主導して行われた幕政改革。
天保の改革=天保年間(1830年 - 1843年)に行われた、水野忠邦主導の幕政改革。

これらの改革の共通点は何?って聞かれたら答えられますか?

答)3つとも農政改革だったつうことなんす。経済や産業は二の次で農業が第一義だったんすね。改革の内容はそれぞれ見てほしいんすけど、じゃあ結果はどうだったのか?

答)すべて失敗です。なので本来は改革とは言えないつうのも正解っす。

 さて、そこで登場するのが田沼意次(たぬま おきつぐ)さんっすね。皆さんどんな印象をお持ちでしょうか?賄賂(わいろ)をむさぼった悪い老中とか、農業をおざなりにして私服を肥やしたとんでもないやつ。なんて印象をお持ちでしょうかねえ。

彼も大胆な改革をしているんす。え?いつ?享保の改革と寛政の改革の間にあったのがこの時代なんす。そう、日本史の教科書では、「田沼(意次)時代」と呼ばれていますぜ。重商主義を基本として経済を活性化させた時期で江戸時代のバブル期といってもいい時代なんす。もっと知りたい方はウィキを読んでみてね。

 私も以前歴史を教えていた時、教科書通りに説明していましたが、田沼時代はほぼ飛ばされていたと思います。はっきり言いますが彼は再評価されるべきだろうと考えてますぜ。財政赤字の江戸時代に明かりをともしたのが彼なんすからね。江戸時代の文化はこの時代に開花したといってもいいぐらいの貢献をしているんすよ。

面白いことに米沢上杉藩中興の祖といわれる上杉鷹山と田沼意次は同じ時代に生きています。
*田沼意次(1719-1788)9月11日生まれ おとめ座
*上杉鷹山(1751-1822)9月 9日生まれ おとめ座
田沼さんが31歳のときに鷹山さんは生まれた。しかも生年月日は2日違い。おとめ座か(それは関係ないか)。親子ぐらいの年齢差すね。なんか影響受けたのかな?

さて話を戻します。これは誤った解釈による誤った日本史だろうとさえ考えてるんすよね。

関が原の合戦で勝利を収めた家康は、天下を治めたものの、信長のように部下の台頭(豊臣秀吉)や謀反(明智光秀)で失脚したくないと強く願っていた。そこで取り入れたのが当時の中国での儒教の一派、朱子学なんす。君子に忠誠を尽くすべきというのが家康の目にとまった。そこで朱子学を江戸時代の学ぶべき基本としたんす。

その朱子学が重んじたのは農業。江戸時代の基本は農業だったんす。でもそれを指導するのは官僚であり学者だとしたわけです。農業を基本として工業も優遇した。そして物を左から右に動かして差益を得る商業をもっとも卑しい業種としたんすね。結果として「士農工商」という身分制度が定着したんす。すべては朱子学から始まってるんすね。「士」は武士の「士」ではなく「官僚や学者」を意味します。

この教えに歯向かったのが田沼意次。合理的でないとの理由で重農主義から重商主義に大きく変えたわけです。そこに反発が広がって失脚したわけっす。「もし田沼時代が続いていれば江戸幕府は巨万の富を得て徳川家の終焉を遅らせることができたかもしれない。」とも言われているんすね。


さて、なんでこんな話を書いているのかと言えば、今読んでいる本がそのような記事がいっぱい書いてあって面白いからなんすね。ではご紹介しましょう。


「学校では教えてくれない日本史の授業」井沢元彦著

これです。面白い内容が満載っす。是非とも読んでほしい一冊です。
ではまた。

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