大仏様の夢をみた

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はーい!シゲちゃんでーす。

今朝がた夢をみた。鎌倉に鎮座する大仏様の夢だ。大仏様が私に語りかける。

大仏様「おまえは何年生きた?」
シ ゲ「オレすか?ええと56年ぐらいすね。」
大仏様「そうか、それで何かわかったか?」
シ ゲ「なにか?うーん、そーいわれると、何もわかっちゃいないすね。」
大仏様「そうか、何を残したい?」

シ ゲ「え?もしかしてオレ、死ぬんすか?お迎えすか?」
大仏様「あわてるな。まだおまえは死なぬ。」
シ ゲ「よかった、あせったっすよ。で、何の御用で?」
大仏様「おまえにすることにした。良かったな。」
シ ゲ「へ?なんのことでしょ、大仏さま。」

大仏様「この夏、おまえが鎌倉に来た時に教えよう。」
シ ゲ「カマクラ?夏?予定ないんすけど、大仏様。」

そして、目が覚めた。なんだこれは?不思議な夢だった。大抵の夢は支離滅裂で途切れ途切れだ。今回もそうだった。理解できない=不思議ということになる。

 今思うと、先日紹介した田口ランディさんの随筆「神様はいますか?」の内容が頭に残っていて脳が勝手に解釈して組み立てた夢なんじゃないか、って思う。たぶんそうだろう。でも何で鎌倉の大仏様なんだろう。最近は鎌倉の旅番組とかもみた覚えがない。それに「おまえにすることにした。」ってことは、大仏様が私を何かに選んだってことだろう。宝くじでも買えってことなんだろうか。

 人間の解釈はこの段階で間違っている。だってこの夢はすべて自分の頭の中で起こっていることだ。外界から接触を受けたことではないし、現実に大仏様が語りかけることなどあり得ないことなんだ。でも宗教を持つ人なら話は変わるかもしれない。

 基本的に私は特定の宗教をもっていない。もちろんお盆やお彼岸には先祖供養をするし、正月には初詣にも出かけたりする。キリストの教えやイスラムの教えもある程度理解して教えとしては敬っている。でも日常で毎日儀式をしたりお題目を唱えることはしていない。そこまで入り込める宗教や、必要とする境遇と出会ったいないからだ。今朝みたような「夢」を誇大に解釈して「神からの掲示」があったなんて解釈する人も中にはいるかもしれない。

 少し話はずれるが、若い頃いくつかの宗教から誘いを受けた。初めて留学した時、同行した日本人の中に朝夕題目を唱える人たちがいた。創価学会の信者の人たちだった。最初に目にした時の驚きはまだ覚えている。また、学生時代アパートの近くにあったカトリック教会の日曜祭に参加したこともある。エホヴァの証人の信者の人から聖書について教えてもらったこともある。でも結局はどれも続かなかった。

 どの宗教も意義があって存在するのだろう。だからどれが良くてこれはだめだとかいう気はさらさらない。極論だけど、人間の数だけ神様がいたっていいわけだ。個々の人間の思想なんだ。この頃の話は時間があるときに書いてみたいと思っている。

ビートたけしの映画「教祖誕生」でも見て、さあ明日は宝くじ買いに行こう。当たるかも!ではまた。

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