東日本大震災から6年(遺体搬送の体験)

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はーい!シゲちゃんでーす。

今日は東日本大震災(2011年3月11日)から6年目となります。月日の経つのは本当に早いものですが、いまだにその傷跡は癒えることがない、そんな方々も大勢おられると聞いています。復興を合言葉に前向きに取り組んできた結果、被災地では回復のための工事や避難している人々への支援がされてきました。でもまだまだ復興は終わっていない。

過酷だったご遺体搬送の作業

それにしても大きな災害でした。いまだに見つからないご遺体が60体以上とか。2011年、震災のあった3月中旬、私を含む米沢・高畠在住の仲間6人は、NPO運営のインターネット支援募集サイトからボランティアに登録した。全員、何かしたいと思っていた。そして3月末、支援依頼があった。

* ボランティア プラットフォーム

「亘理(わたり)町付近の海岸にて、海岸に打ち上げられたご遺体を安置所に運ぶ作業をお願いします。食糧等は各自準備願います。また防寒着と作業に適した履物を準備願います。詳細は当日現地にて説明いたします。尚、駐車場確保上、車は最小台数でお越しください。よろしくお願いします。」NPO法人

宮城県の亘理町(わたり)の海岸(荒浜)で、タンカを使いブルーシートがかけられたご遺体を安置所へ運ぶ作業と関連する補助が依頼内容だった。早速参加者に連絡して準備にとりかかった。

 当日、6人はワンボックス車に乗り込み、自分たちの水や食糧をのせて現場へむかった。初めてボランティアに参加する者は興奮気味だった。峠を越え宮城県側に入る。道を進むにつれ光景は変化していく。重機車両や大型ダンプも見えてきた。通行止めの表示が徐々に増えてゆく。やっと現地到着。仮設テントが多く設置してあるのですぐわかった。

 その日のボランティアは200名以上はいたと思う。私たちはテント受付で登録の認証(ID)をもらい、タンカとマスク、軍手、タオル、お茶のペットボトルを渡され係員の人の後ろについて海岸の方向に向かっていった。

 私たちは6人で1チームの編成となった。時折暖かい風が吹く。でもその風はこの世のものとは思えない異臭となって私たちの目や鼻を刺激した。ブルーシートは、みる限り50以上はあっただろう。初めて見たその光景に私たちは言葉を失った(ブルーシートの画像は配慮上載せません)。

「ひどいでしょ?」

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(亘理町を襲った津波)

係員の方に説明を受け作業に取り掛かった。

 シートには番号を書いたフダがはってある。指示されたご遺体のブルーシートをはずし、全員で合掌する。ご遺体をタンカにのせ、再び上からシートをかぶせ安置所まで搬送する。遺体は水を含んでいたのか、見た目以上に重かった。4人で運び、2人は前後についてタンカを誘導する。

 海岸には瓦礫(がれき)が多く残っており非常に危険だった。ゴミと一緒に長い釘が出た板やボードが散乱している。途中、ひとりは気分が悪くなり足を止めた。運びながら目から涙があふれてくる。目が痛いのだ。前が見えない。マスクをもらったのだがほとんど役には立たなかった。

 午前中いっぱい遺体搬送。8名の遺体を仮安置所へ運んだ。昼近くになり、私たちの気力は萎(な)えていた。後ろめたかったが、係の人に事情を話した。遺体運びを中止して、午後からは支援物資の積み下ろしと振り分けをする作業にかえてもらった。多くのボランティアが同じことを依頼したとのことだった。結局、残ったご遺体搬送は陸上自衛隊の隊員の方々が最後までおこなったそうだ。本当に頭が下がります。
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 ボランティアは尊い。だが現場では挫折することもある。現実の姿は想像を超えていたのだ。中には邪魔にしかならないようなボランティアもいたのも事実だった。でも私たちにそれを非難する気力も資格もなかった。夕方、挨拶をして米沢に向かった。帰る途中、来る時には見えていなかった景色。コンビニがポツンと残り周囲は瓦礫(がれき)の山。あの日、ここで何が起こったのだろうか。

米沢の景色は、幸いほとんど被害らしきものはなかった。停電になることも免れ、テレビの映像は対岸の火事のようにみえた。私たちは肩を落としていた。無力だったかもしれない。

「お疲れ・・。」ひとりずつ家の前に送った、もう祈るしかできないと思った。
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偏見は無知から

最近の報道で、避難する家族への偏見によるイジメや誹謗中傷が多くあることを知った。ある子供は避難先でイジメを受け自殺未遂をはかった。目に見えない恐怖、福島の原発の被害。避難している大人へも偏見からくる心無い言葉が多くの避難者に投げられたとも聞く。

「大変ですね。でも国や東電から保証金や支援金が出るんでしょ?」

本音で言っているとしたら人間性を疑う言葉だ。まともではない。でもこんな人も現実に存在する。恥を知れといいたい。

 親の偏見はそのまま子供へと伝播(でんぱ)する。差別は偏見から、偏見は無知からくる。無知な親の心無い言葉は子供に伝わる。日本は素晴らしい国だという報道や番組を多くみかける。でもそれで本当に良い国といえるのか。あれから6年、これから同じ災害がおこるかもしれない。備えねばならない。そして自らを反省し犠牲者に祈りを捧げたい。本日あらためて死者へのご冥福を祈ります。

ではまた。

この記事へのコメント

  • 宮城っ子

    あれから6年経ちますね。読ませていただきました。ある意味人生観を変えるような体験かと思います。被災者へのイジメや偏見には本当に腹が立ちます。一部の人と信じたいです。
    2017年03月11日 13:15
  • タカ

    偏見は無知なり マイケル・ジャクソン
    2017年03月11日 13:30
  • 米沢大好きです

    私と子供は福島県いわき市から米沢市に避難しています。家は避難指定地区ではありません。夫と義理の両親はいわきで仕事もち暮らしています。当時幼稚園だった子供は今春6年生になりますが、イジメを受けてはいないようで学校関係者の方々に感謝しています。いっぽう私は、残念ながら興味本位なことを言われた経験が何度もあります。賠償金等のお金のことです。一部の方ですが、どうか理解してほしいと説明をすることにしています。悪気はないと思うのでわかってもらえると信じて説明しています。同じ境遇の方が身近にいらしたらどうかご理解お願いします。長文失礼します。
    2017年03月11日 14:56
  • まさお君

    喉元過ぎて熱さ忘れる あの時を思い出そう
    備えあれば 憂いなし もう一度点検しよう

    6年か ジジイになるわけだ
    2017年03月11日 17:09
  • ろく

    遺体を運ぶ。死んだ祖父を棺おけに入れて親族と車まで運んだぐらいです。被災した遺体をタンカで運ぶ。わたしには後にも先にもないことでしょう。

    この津波で流された数多くの人がどんな思いで死んでいったのか。想像に絶するようなことが多くあったことでしょう。小さな子も大勢亡くなっています。もう二度と起きてほしくない災害です。
    2017年03月12日 21:18
  • マサミ

    実際にボランティアに参加するだけすごいと思うよ。ほとんどの人は思うだけで行動までいかないんだから。赤湯の吉野川氾濫の時もいったでしょ。ボランティアは偽善だとか、時間と金があるやつにやらせとけなんていう人もいる。参加してから言えよと思うね。シゲちゃんエライ!
    2017年03月13日 17:29
  • 田中

    東日本大震災、これから十分に起こりうる。備えておこう。
    2017年03月15日 14:22
  • ケン

    ばんわ、ケンです!

    正直、対岸の火事のような感じでした。米沢って実は恵まれた地域なんだと思う。置賜は田舎だけどやっぱいいね。
    2017年03月16日 20:10

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