置賜のその昔を調べてみた(3)

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はーい!シゲちゃんでーす。

「無知の知」という言葉があるっす。ギリシャの哲学者ソクラテスの有名な言葉っす。

ここ数日置賜の歴史に興味がわいてきた。若い頃は全く興味のなかったことなので自分でも多少驚く。これがジジイになったということなのか。で、米沢の歴史をキーワードに検索してみると多くの諸先輩のサイトやブログにたどりつく。こんなにあったんだ。図書館で本でも探さないとわかんないかと思ってたんす。でも私のような稚拙(ちせつ)な者でも理解できそうなサイトがホントいぱーいあったんす。

 さらに内容を見てみると、自分がいかに無知だったかを思い知らされるわけで。地元に住みながら何も知らないということに気がついたんすね。まあ今回はそれだけでも収穫といっていいかもしれないす。今回はこれは参考になると思ったサイトを紹介しながら書いてみるす。

【米沢城】城郭辞典というお城に詳しいサイト。米沢城も載っている。ありがたいことに年表が載っていた。これは歴代の米沢城主を主題に書かれてるす。流れが分かり易いすね。

1238年 大江時広長井時広)が築城
(中略)
1542年 伊達晴宗が、それまでの桑折西山城から居城を移す
1567年 伊達政宗誕生
1584年 伊達輝宗の隠居により、後を継いだ伊達政宗が城主に
1589年 伊達政宗が蘆名家を攻め滅ぼし、居城を会津若松城(黒川城)に居城を移したことから、弟の伊達宗澄が城代に
1590年 伊達政宗、惣無事令違反と小田原陣への参陣が遅れたことから、米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など73万石に減封。替わって会津に入った蒲生氏郷の家臣、蒲生郷安が城主に
1598年 越後国から会津に転封された上杉景勝の家老直江兼続が城主に
1600年 関ヶ原の戦で三成ら西軍が敗戦したことで、上杉家はこの米沢30万石に減封。これにより、直江兼続は米沢城を主君上杉景勝に返上
1608年 大改修
(中略)
1871年 廃藩置県により、米沢県庁に
1874年 松が岬公園となる
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なるほど。これを元に城主を並べると、

長井時広(長井氏) → 伊達晴宗 → 伊達輝宗 → 伊達政宗 → 伊達宗澄 → 蒲生郷安 → 直江兼続 → 上杉景勝 → 以降上杉氏

伊達政宗や直江兼続が城主だったことすら知らなかったっすよ。マジヤバすね。郷土史を知らないと恥をかくかもしれないすね。「聞くは一時、恥は一生」なんてこともあるので少しずつ調べていこうと思うっす。ちなみに最初の画像は「CGでよみがえる日本の城」というサイトのものっす。米沢城、現代に再現できたらいいすよね。

これから桜の咲き誇る松ヶ岬公園にいったら、改めて上杉神社に参拝にいこうと思うっす。以前行ったときはおみくじで大吉だったなんてことで喜んでたんすから困ったもんすよね。いや今回も勉強になったすねえ。次回は置賜郡について調べてみたいっす。ではまた。

【参考にしたサイト】
伝国の杜のサイトにも記事があるす。
「日本名城の旅」というブログ。ここも参考になるす。

この記事へのコメント

  • ケン

    ちわっす!ケンです!

    米沢城つうのが見たかった。でもこのCGを見ると大阪城や姫路城や鶴ヶ城みたいなのではなさそうだ。このお城のとこだけでも作ればいいのにね。金ないから無理かも。
    2017年04月09日 15:11

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