置賜のその昔を調べてみた(4)

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はーい!シゲちゃんでーす。

朝日がまぶしい。でも爽やかな週の始まりっすね。はりきっていきましょうぜ。

 さて置賜の歴史を探って4回目。私は基本的に浅い知識しかないので、ウィキペディアに頼りきりな部分もあるす。とにかく信用して基礎知識を得たいと考えるわけっす。

置賜郡(おきたまぐん、おきたまのこおり)は、山形県(出羽国・羽前国)にあった郡。中世から近世には長井郡ともいった。

中世の出羽国(でわのくに)は、現在の山形県(羽前国)と秋田県(羽後国)を合わせた領域。「日本書紀」に陸奥の国の最上、置賜として名前が始めて登場した、とあるんすね。やはりここでも「うきたみ、うきたま」と呼ばれていたようっす。やっぱ語源はアイヌ語っぽいす。行政区分として郡を使ってたんすね。

歴史の流れとしては、東北・北海道は蝦夷(えぞ・えみし)と呼ばれて異民族扱いされていた古代期ということになる。そういや、蝦夷征伐(えぞせいばつ)なんて聞いたことがあるすね。大化の改新(645年)以降中央集権化を進める目的から百年以上の時間をかけて朝廷に侵略(よくいえば統一か)されちまったつうことすね。8世紀後半から活躍した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が有名すね。
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上の図を見ると確かに置賜っすね。

「平安末期は奥州藤原氏の支配下に入った。その滅亡後、大江広元が支配し、広元の子の長井時広が継承。置賜郡北西の長井荘(現長井市)から、以後長井氏を名乗る。後に長井氏が東南の米沢を拠点としたことから、置賜郡全体が長井荘(荘園)とも言われるようになる。(ウィキペディアより)

 百年に渡り一帯を支配した奥州藤原氏(平泉)は、源頼朝によって滅ぼされているっすね(1189年)。その後鎌倉から地頭として派遣されたのが大江広元。その次男が長井時広でそのまま継承した。それから室町時代を経て安土桃山・戦国時代へと入ってゆくわけなんす。そして新興勢力である伊達氏が置賜に攻め入って長井氏を追放する(1380年)までの間二百年近くもの間(191年間)、長井氏が統治したんす。前の記事にもあったように米沢城を築いたのも長井氏なんすよ。

 さらに伊達氏が17代正宗に至るまでの間(1591年)、置賜一帯を支配していたんす。これまた二百年ちょっと。つまり置賜は四百年間、長井氏と伊達氏の領地だったつうことになるっすね。その後上杉氏が幕末まで米沢藩として統治したってことっす。このブログ記事、かなり重複していてわかりにくいすけど自分の中では何とか消化したっすよ。もっと理解したうえで書けよなんて言われそうすけどね。

 今の米沢は上杉一色っすよね。もっと長井氏や伊達氏の時代の歴史も発掘して観光に活用できないもんすかねえ。長井市なんて交通の要所だったってことも書いてあったんすから長井市にもがんばってほしいすよ。長井祭や伊達祭までいかなくとも遺跡とかの展開はできないもんでしょうか。この辺は博物館の学芸員さんにもお願いしたいところっす。さらに古代の置賜(蝦夷時代)に思いをはせるつうのもいいかもしんないす。歴史なんてのは証明できないと妄想の世界すからなんともいえないんすけど。

この方面の専門家の方からは笑われそうすけど、こうやって郷土史をさぐるのは必要かと思いますよ。教育だって上杉様一辺倒じゃなくてもっと広く深く教えてほしいすね。長井氏の話なんて学校で聞いたこともなかったすからね。

関連記事】米沢日報デジタルに面白い記事を発見しました。この記事には今回少しかじった長井氏や伊達氏時代の話も出てきて興味深いものです。是非ご一読を。
歴史探訪【板谷街道編】寄稿 竹田昭弘氏

ではまた。

この記事へのコメント

  • まさお君

    ついに歴史に手を出したか・・。たしかにジイの仲間入りだな。
    要は、蝦夷の豪族、奥州藤原氏、長井荘、伊達氏、上杉氏の順番で支配されてきた土地ということだな。でもなんでこんな田舎がとも思うが、それだけいい所だったんじゃないか?そういうことにしておこう。
    2017年04月10日 17:31
  • りおまま

    こんにちわ。歴史と文化の学園都市、米沢。むかし東京に住んでいましたけど米沢っていい所ですよ。車がないと何もできないのと大雪をのぞけば全国でも住みやすい街だと、わたしは思っていますよ。そうでしょ?
    2017年04月11日 13:46

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