支倉常長氏について調べてみた(1)

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はーい!シゲちゃんでーす。

 今日は体育の日すね。天気も良くて正にスポーツ日和。芋煮会やってる人たちもいるでしょうね。暑かった夏もさすがに台風と共に去っていってくれたようです。まだ暑い日もあったりするんすけどね。

 さて今日は支倉常長(はせくらつねなが)様について調べてみた。波乱万丈の生涯をおくった彼はご存知の人も多いとは思いますが、伊達政宗と同じ米沢生まれだっていうんすよね。そーいや米沢のイベントで時々きいたことがあるかも。まあその程度の人が多いんじゃないすか?私もそうほとんど知らない。米沢といえば上杉の城下町で上杉氏ばかりが持ち上げられる傾向にある。でも安土桃山時代にはこんなすごい人もいたんすよね。多少知っておいたほうがよさそう。

 表記の画像はイタリア人(当時のローマ)が書いた支倉常長の油絵で等身大だそうすね。見た目すっとぼけた顔していて、どっかの建設会社にこんな人いたような気がする。ヘルメットかぶせたくなる。いや失礼。

参考資料はウィキペディア(支倉常長)なんすけどザックリと見てみましょうか。← ウィキペディアのサイトすよ

氏 名:支倉常長(はせくら つねなが)幼名は與市、初名は六右衛門長経、洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ

年 齢:51歳で没。1571ー1622 安土桃山時代から戦国時代を経て江戸時代を生きた人すね。この頃の米沢は伊達家が仕切っていたのかな?以前書いた長井氏の時代でもある。上杉氏は関が原の戦い(1600年)以降米沢に入場したのでそれより少し前ってことになる。

元亀2年(1571年)、桓武天皇を祖先とする山口常成の子として羽州置賜郡長井荘立石邑(現在の山形県米沢市立石、米沢市立関小学校の周辺)に生まれる。ヨネザワーゼとしてはここっすよね。え?どごだべ?立石っていうと、市内からだと船坂峠を越えて関小学校のあたりか?

おお!正に関小近くにに支倉常長生誕之地歴史資料館というのが有った!これは関小のブログの記事なんすけど完成したのが、この記事によれば2014年8月31日完成。関小のプールの管理棟を利用して・・とある。えええ!?なんで?もっと立派なのかと思ってた(失礼)。



さらに「米沢駅前に「支倉常長生誕の地米沢」ののぼりが立ちました!」という記事は、支倉常長日西文化協会の記事。観光事業の一環なのか、それともやっとPRする気になったのかは知らないけどやはりそうだった。この偉人はまぎれもなく米沢生まれだったのだ。

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支倉さん(知り合いかよ!)には徐々に親近感をおぼえてきた。

まあ今日は1回目としてこの辺で失礼しますぜ、だんな。
ではまた。

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